ドン・キホーテと緑色外套の紳士との間に起こったこと

  • 2018.05.18 Friday
  • 22:36

 

 

 

 

 

その時ドン・キホーテがドン・ディエゴに、何人の子どもをお持ちか、とたずねた。

「ドン・キホーテどの」と、紳士が答えた、「わたしにはせがれが一人おりますが、もしこの子がいなかったら、わたしは今よりもっと幸福だったことでしょう。べつに、これが悪い子だからというのではなく、わたしが望むようなよい息子ではないからです。年は18になりましたでしょう。六年間サラマンカ大学で、ラテン語とギリシャ語を学びました。そして、わたしがほかの学問をさせたいと思った時には、もう詩学にのめりこんでおりまして、まあ詩などというものを学問と呼んでよければの話ですが、わたしが学ばせたいと思った法律や、あらゆる学問の王である神学には目もくれないのです。」

 これにたいして、ドン・キホーテが答えた

「郷士どの、子どもというものは二親の分身じゃ。したがってよい子であろうと悪い子であろうと、われらに生命を与えてくれる魂を愛するように、愛さねばなりませぬ。幼いころから子どもたちを、美徳と、よいしつけと、キリスト教の正しい慣習へと導くのは親の務めじゃが、それは成人してから、両親の老後の支えとなり、子孫の誇りともなってもらわんがためでござる。そのうえ、子どもたちに、この学問、あるいはあの学問をおさめよと強いることは、拙者には当をえたこととは思われませぬ。もっとも適当な忠告をするくらいなら、いっこうにかまわぬであろうが。一般的に言えば、学生が生計をたてるために学ぶ必要のない場合、つまりそうすることが許されるような裕福な親を天から授けられている場合には、もって生まれた傾向にもっとも合う、好きな学問をさせてやる、というのが拙者の意見でござる。なるほど詩学は、実用というよりはむしろ楽しみのためのものかもしれぬが、それをおさめた者の不名誉となるがごとき学問ではない。郷士どの、拙者の考えでは、詩学というのは、このうえなく美しい、いたいけな乙女みたいなものであって、他の多くの学問という乙女たちは、彼女を豊かにし、磨き、美しく飾りたてるのに奉仕している、つまり、詩学は他のすべての学問を自分の役に立て、他の学問は詩学によってみずからの権威を高めているのでござる。そして、この詩というのはまことにすぐれた質の合金でできているので、正しくあつかいさえすれば、それをはかり知れないほど貴重な純金に変えることもできましょう。それゆえ詩をこころざす者は、その本領をよく理解して、ばかげた諷刺詩や、実のないソネットなどを書かぬことが肝要じゃ。また詩が、やくざな連中や、詩のなかに秘められている宝を知ることも評価することもできない俗物の手にゆだねられるようなことがあってはなりませぬ。・・・」

ドン・キホーテ / セルバンテス作 / 牛島 信明編訳 / 岩波少年文庫 より

 

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